お花見ですね・・・
2019/03/23
お花見ですね
お花見はいつごろから始まったのでしょうか?
それは、田の神様をお祭りする行事からという説が有力です。
稲の田植えは気温が15℃ぐらいにならないと稲が育ちません。
そこで、ご先祖たちは、桜の花が咲くのを見て田植えの時期を決めていたのですね。
縄文時代の後期ごろより、日本が、農耕民族として発達してきた歴史のなかで、春先に田植えの時期になると山から田の神様が降りてきて、桜などに花を咲かすという言い伝えがあります。
人々は桜の木の下でお供え物などを持ち寄って五穀豊穣を祈っていましたが、やがてその中には、ちょっと失敬ということでお酒や、ごちそうをつまみ食いをして酔っ払って陽気に騒いで、それが、各地に広まったということです。
「さくら」という名前も「さ」=田の神様。「くら」=座。という2つの言葉から作られたものだそうです。
「さ」は、早乙女や早苗などに使われています。
「座」は神様が座る場所で、高御座や岩倉などの言葉もその名残りです。
奈良時代入ると貴族のあいだで、中国から伝来した梅の花を愛でる習慣が流行り、「万葉集」には桜を詠んだ歌が43種に対し、梅を詠んだ歌が110種も納められています。
それが、10世紀初期の「古今和歌集」では、桜が70種に梅が18種と逆転しています。
「花」が桜の別称として開く世に広まったのはこの時期からだと言えます。
もっとも、このころの桜は、今の「ソメイヨシノ」ではなく、山桜(吉野さくらなど)と言われています。
豊臣秀吉が主宰した、吉野の花見(1594年文禄3年)や醍醐の花見(1598年慶長3年)は、史上有名ですね。
現在の「ソメイヨシノ」は、江戸時代中期(1603年~1868年)から後期に当時園芸の盛んだった、江戸の郊外の染井村(現在の東京都豊島区駒込付近)の植木職人の手によって挿し木や接ぎ木で増やし、売り出したといわれています。
「ソメイヨシノ」は接ぎ木や、挿し木によって作り出されたのですから、すべて「クローン」ですね。
この桜を売り出す特に当時日本一の桜の名所奈良県吉野山に咲く桜にあやかり、「吉野さくら」と名付けだのですが、吉野地方で自生している桜は「山桜」で染井村で売り出している「吉野桜」と間違えられるということから1900年(明治3年)に誕生日地である染井村の名前を冠し、「ソメイヨシノ」と名付けられ、翌年松村 任三(まつむら じんぞう、(1856年~1928年日本の植物学者)により、学名を付けられました。
最後に桜の語源は、古事記や日本書紀で登場する「木花咲耶姫」の「さくや」からきているという説があります。
木花咲耶姫は、木の花(桜といわれています)のように大変美しい女神です。
天照大神の御孫、瓊瓊杵尊の奥様となられたかたです。
富士山の山頂にある、富士浅間神社の御祭神として祀られています。
伝説ですが、富士山の見える場所からは、美人が生まれないと言い伝えがあるのは、この神様が大変嫉妬深くてあられるからだと言われています。
あくまでも伝説ですから筆者には責任はありません(念のため)。
お花見はいつごろから始まったのでしょうか?
それは、田の神様をお祭りする行事からという説が有力です。
稲の田植えは気温が15℃ぐらいにならないと稲が育ちません。
そこで、ご先祖たちは、桜の花が咲くのを見て田植えの時期を決めていたのですね。
縄文時代の後期ごろより、日本が、農耕民族として発達してきた歴史のなかで、春先に田植えの時期になると山から田の神様が降りてきて、桜などに花を咲かすという言い伝えがあります。
人々は桜の木の下でお供え物などを持ち寄って五穀豊穣を祈っていましたが、やがてその中には、ちょっと失敬ということでお酒や、ごちそうをつまみ食いをして酔っ払って陽気に騒いで、それが、各地に広まったということです。
「さくら」という名前も「さ」=田の神様。「くら」=座。という2つの言葉から作られたものだそうです。
「さ」は、早乙女や早苗などに使われています。
「座」は神様が座る場所で、高御座や岩倉などの言葉もその名残りです。
奈良時代入ると貴族のあいだで、中国から伝来した梅の花を愛でる習慣が流行り、「万葉集」には桜を詠んだ歌が43種に対し、梅を詠んだ歌が110種も納められています。
それが、10世紀初期の「古今和歌集」では、桜が70種に梅が18種と逆転しています。
「花」が桜の別称として開く世に広まったのはこの時期からだと言えます。
もっとも、このころの桜は、今の「ソメイヨシノ」ではなく、山桜(吉野さくらなど)と言われています。
豊臣秀吉が主宰した、吉野の花見(1594年文禄3年)や醍醐の花見(1598年慶長3年)は、史上有名ですね。
現在の「ソメイヨシノ」は、江戸時代中期(1603年~1868年)から後期に当時園芸の盛んだった、江戸の郊外の染井村(現在の東京都豊島区駒込付近)の植木職人の手によって挿し木や接ぎ木で増やし、売り出したといわれています。
「ソメイヨシノ」は接ぎ木や、挿し木によって作り出されたのですから、すべて「クローン」ですね。
この桜を売り出す特に当時日本一の桜の名所奈良県吉野山に咲く桜にあやかり、「吉野さくら」と名付けだのですが、吉野地方で自生している桜は「山桜」で染井村で売り出している「吉野桜」と間違えられるということから1900年(明治3年)に誕生日地である染井村の名前を冠し、「ソメイヨシノ」と名付けられ、翌年松村 任三(まつむら じんぞう、(1856年~1928年日本の植物学者)により、学名を付けられました。
最後に桜の語源は、古事記や日本書紀で登場する「木花咲耶姫」の「さくや」からきているという説があります。
木花咲耶姫は、木の花(桜といわれています)のように大変美しい女神です。
天照大神の御孫、瓊瓊杵尊の奥様となられたかたです。
富士山の山頂にある、富士浅間神社の御祭神として祀られています。
伝説ですが、富士山の見える場所からは、美人が生まれないと言い伝えがあるのは、この神様が大変嫉妬深くてあられるからだと言われています。
あくまでも伝説ですから筆者には責任はありません(念のため)。