花火と狛きつね
2023/09/17
花火と言えば、両国橋で催される納涼花火大会ですね。
旧暦の5月28日から8月28日までが夕涼みの期間として、いろいろなお店が集い、夜半まで営業許可がでて、大変な賑わいを見せていたようです。
花火大会は、大飢饉とコレラによる慰霊と悪疫退散を祈願して始まったといわれています。
両国橋を境として、上流を玉屋が、下流を鍵屋がそれぞれ受け持ち、観客から、「た~まや~か~ぎや~」の掛け声が鳴り響き、まさに江戸の文化お象徴ともいえる1大イベントを繰り広げました。
鍵屋の由来は、鍵屋初代弥兵衛が、お稲荷様の信仰から、社前の前に立っている狛きつねがくわえている「鍵」を屋号にしたと言われています。
ちなみに狛きつねが咥わえているものは、「巻物、玉、稲穂、鍵」の4種類で、一部は何もくわえていない狐もいますが、多くの狐は4種類のどれかを口に咥えています。
・巻物―知恵を象徴する。知恵に関わるご利益があるとされます。
・玉―宝珠の小手で豊穣を意味します。
・稲穂―五穀豊穣を意味します。
・鍵―稲倉のカギを象徴して豊穣を意味します。
玉屋は、6代目鍵屋の番頭をしていた清兵衛が、6代目に認められて独立を許され、暖簾分けにより、玉屋清兵衛と名乗り、その時に狛きつねのくわえている「玉」を屋号にしたと言われています。
「花火屋はいずれも稲荷の氏子なり」とは、江戸の川柳ですが、鍵屋、玉屋の屋号の成り立ちからしてうなづけるものがあります。
こうして、両囲橋の上流を玉屋、下流を鍵屋が、担うようになり、「た~まや~か~ぎや~」の掛け声と共に観客の喝采を浴びることになりましたが、次第に技術も人気も玉屋のほうが高く、当時の浮世絵には玉屋の花火船ばかりが描かれました。
弟子の「玉屋」のほうが師匠である「鍵屋」を上回ってしまい、名実ともに「江戸一番」の花火師は玉屋の呼び声が高くなりました。屋は何れも稲荷の氏子なり」「花火屋は何れも稲荷の氏子なり」
とこらが、好事魔多しの例えありで玉屋も、天保14(1843)年4月に、自宅から失火し、町並みの半丁ほどを類焼させてしまったのです。
祖結果、玉屋は所払い(追放)の処分を受け、廃業を余儀なくされました。
こうして玉屋と、戦前まで続いた唯一の江戸の花火屋「鍵屋」との競演はわずか32年でピリオドを打ち、玉屋の偉業は「た~まやぁ~」の掛け声にのみ、その名残をとどめることとなりました。
旧暦の5月28日から8月28日までが夕涼みの期間として、いろいろなお店が集い、夜半まで営業許可がでて、大変な賑わいを見せていたようです。
花火大会は、大飢饉とコレラによる慰霊と悪疫退散を祈願して始まったといわれています。
両国橋を境として、上流を玉屋が、下流を鍵屋がそれぞれ受け持ち、観客から、「た~まや~か~ぎや~」の掛け声が鳴り響き、まさに江戸の文化お象徴ともいえる1大イベントを繰り広げました。
鍵屋の由来は、鍵屋初代弥兵衛が、お稲荷様の信仰から、社前の前に立っている狛きつねがくわえている「鍵」を屋号にしたと言われています。
ちなみに狛きつねが咥わえているものは、「巻物、玉、稲穂、鍵」の4種類で、一部は何もくわえていない狐もいますが、多くの狐は4種類のどれかを口に咥えています。
・巻物―知恵を象徴する。知恵に関わるご利益があるとされます。
・玉―宝珠の小手で豊穣を意味します。
・稲穂―五穀豊穣を意味します。
・鍵―稲倉のカギを象徴して豊穣を意味します。
玉屋は、6代目鍵屋の番頭をしていた清兵衛が、6代目に認められて独立を許され、暖簾分けにより、玉屋清兵衛と名乗り、その時に狛きつねのくわえている「玉」を屋号にしたと言われています。
「花火屋はいずれも稲荷の氏子なり」とは、江戸の川柳ですが、鍵屋、玉屋の屋号の成り立ちからしてうなづけるものがあります。
こうして、両囲橋の上流を玉屋、下流を鍵屋が、担うようになり、「た~まや~か~ぎや~」の掛け声と共に観客の喝采を浴びることになりましたが、次第に技術も人気も玉屋のほうが高く、当時の浮世絵には玉屋の花火船ばかりが描かれました。
弟子の「玉屋」のほうが師匠である「鍵屋」を上回ってしまい、名実ともに「江戸一番」の花火師は玉屋の呼び声が高くなりました。屋は何れも稲荷の氏子なり」「花火屋は何れも稲荷の氏子なり」
とこらが、好事魔多しの例えありで玉屋も、天保14(1843)年4月に、自宅から失火し、町並みの半丁ほどを類焼させてしまったのです。
祖結果、玉屋は所払い(追放)の処分を受け、廃業を余儀なくされました。
こうして玉屋と、戦前まで続いた唯一の江戸の花火屋「鍵屋」との競演はわずか32年でピリオドを打ち、玉屋の偉業は「た~まやぁ~」の掛け声にのみ、その名残をとどめることとなりました。